令和8年10月、カスハラ防止が事業主の法的義務に|保育現場で問われる「個人で抱える」から「組織で守る」への転換


令和7年6月、改正労働施策総合推進法が成立し、2026年(令和8年)10月1日から、事業主にはカスタマーハラスメント(以下「カスハラ」)防止のための雇用管理上の措置が義務付けられます。これまで法令上の明確な位置づけがないまま、各事業主の自主的な取り組みに委ねられてきたカスハラ対策が、いよいよ事業主の「法的義務」として明文化される——。サービス業全般にわたる大きな転換点ですが、保育現場もまた例外ではありません。

「保護者との関係でつらい思いをした」「理不尽な要求に対応しきれず、心が折れてしまった」「上司に相談したものの、最後は自分で受け止めるしかなかった」——こうした声は、私たちが現場でよく耳にするものです。各園それぞれに工夫を重ねてこられた一方で、保育者一人ひとりの経験や対応力に頼らざるを得ない場面も少なくなく、組織として体系的に支える枠組みづくりは、これからの課題として残されていた領域ではないでしょうか。

本コラムでは、改正法の概要とこども家庭庁の支援策を整理しながら、保育現場における「個人で抱える」から「組織で守る」への発想転換について考えていきます。


目次

改正労働施策総合推進法の概要——カスハラ対策が事業主の「法的義務」へ

まず、今回の改正の骨格を確認しておきましょう。

  • 根拠法令:労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律(令和7年法律第63号による改正)
  • 施行・適用日:2026年(令和8年)10月1日
  • 事業主の義務:職場における顧客等からの言動(カスハラ)に起因する問題に関し、雇用管理上の措置を講じること
  • 指針の告示:「事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」(令和8年厚生労働省告示第51号)

ここで重要なのは、カスハラ対策が事業主の「法的義務」として明確に位置づけられるということです。これまでは法令上の明確な定めがなく、「対策をとることが望ましい」という水準で各事業主の判断に委ねられてきたものが、これからは「対策を講じなければならない」水準に引き上げられます

「うちはまだ大きなトラブルが起きていないから」「保護者との関係は概ね良好だから」——そう考えている園もあるかもしれません。しかし、この法改正で問われているのは、トラブルの有無ではなく、職員が安心して働ける仕組みを組織として備えているかどうか、ということです。


カスハラの定義と、事業主に求められる4つの措置

カスハラとは何か

指針においてカスハラは、職場で行われる顧客、取引先、施設利用者等の言動のうち、次の二つの条件を満たすものと定義されています。

  1. 業務の性質等に照らして「社会通念上許容される範囲」を超えたもの
  2. 労働者の「就業環境が害される」結果を招くもの

保育現場でいえば、保護者からの理不尽な要求、繰り返しの長時間クレーム、人格を否定するような言動などが、これに該当し得ます。

事業主に求められる4つの措置

指針が示す事業主の措置は、大きく次の4つに整理できます。

❶ 方針の明確化と周知
カスハラに対する園としての方針を明確にし、職員に啓発・周知すること。

❷ 相談体制の整備
職員からの相談に応じる窓口を設置し、適切に対応するための体制を構築すること。

❸ 実効性の確保
抑止のための措置——たとえば対応マニュアルの策定など——を講じること。

❹ 事後の迅速・適切な対応
被害が発生した際の速やかな事実確認、被害者への配慮、再発防止策の実施。

これらは、いずれも「個人の頑張り」では完結しない領域です。カスハラ対策は、本質的に組織のマネジメントの問題なのです。


保育現場の特性と、こども家庭庁の支援策

保育現場ならではの難しさ

保育現場のカスハラ対応には、他業種にはない難しさがあります。

  • 保護者は「利用者」であると同時に、「子育てのパートナー」でもある
  • 子どもの最善の利益を考えると、踏み込んだ対応が取りにくい
  • 「保育者は寄り添うべき」という規範意識が、毅然とした対応をためらわせる
  • 個別の関係性が長期にわたり、断片的なクレーム処理では対応しきれない

「保護者だから……」「子どもへの影響を考えると……」——こうした思いから職員が言い出せず、組織への相談が遅れる要因にもなります。だからこそ、保育現場には保育現場に即した枠組みが必要なのです。

こども家庭庁による支援の方向性

こうした保育現場の特性を踏まえ、こども家庭庁は多角的な支援を打ち出しています。

令和7年度までの対応

  • 厚生労働省の指針および既存の手引き「保育所等における在園児の保護者への子育て支援」の留意事項の周知
  • 保護者等への対外的な対応を援助する者による巡回支援に係る費用補助

令和8年度以降の予定

  1. 労働者の就業環境保護に特化した、保育現場向けガイドラインの策定
  2. 管理者および一般職員向けのチェックシートを含む研修資材の開発
  3. ポスター・チラシなど周知啓発資材の配布
  4. アンケート・ヒアリングを通じた実態把握調査と好事例の収集

ガイドラインや研修資材が順次整備されていくこの1年は、各園にとっても「自園の備えを点検し直す」タイミングだと言えます。


令和8年度予算案に見る、組織的支援の枠組み

令和8年度予算案では、保育士の離職防止と勤務環境改善のための事業が拡充・整理されています。とりわけカスハラ対応に関連が深いのは、次の三つです。

保育士・保育所支援センターの機能強化

センターを地域の拠点と位置づけ、社会保険労務士、弁護士、キャリアコンサルタント等の人事・労務管理の専門家を配置するための加算が設けられます。さらに、保育所等を直接訪問し、就職支援・就業継続支援(職場環境改善等)を行う人員の配置も進められます。

保育士や保育事業者等への巡回支援事業

担い手支援内容
保育士支援アドバイザー保護者への適切な対応方法や、職員の働き方の見直しに関する助言
保育事業者支援コンサルタント経営者等に対するマネジメント・業務改革(対外的な対応援助を含む)の指導

相談窓口の設置(保育人材等就職・交流支援事業)

心理職や社労士等を配置し、人間関係や労働条件に関する相談支援を実施。必要に応じて保育所等への指導・助言も行われます。

これらは、「園内で抱え込ませない」ための外部資源として位置づけられるものです。改正法の趣旨を踏まえれば、各園が「自園だけでなんとかする」のではなく、こうした地域の支援体制と接続しながら職員を守る仕組みをつくることが求められます。


「寄り添い」から「組織としてのルールを示す」へ

基本姿勢の転換

ここで一つ、現場の運用に踏み込んだ話をしたいと思います。

保育現場は伝統的に、保護者との信頼関係を築くために「傾聴」と「寄り添い」を大切にしてきました。それ自体は、保育の根幹をなす姿勢であり、これからも変わりません。しかし、理不尽な要求に対しても寄り添い続けることで、かえって事態が悪化する場合があります。

寄り添いだけでは守れない領域がある——この事実を、まず園全体で共有することが出発点です。

具体的な対応の型

既存のガイドライン等を踏まえれば、現場で取り得る対応は次のように整理できます。

  • 丁寧に関わりつつも「できることとできないこと」を明確に伝える
  • 複数の職員で対応し、組織全体で情報を共有する
  • 心理的・物理的に適切な距離を保つ
  • 対応経過を時系列で記録に残す

ポイントは、これらを個人の判断ではなく、園のルールとして運用することです。「この職員は厳しい」「この職員は優しい」という属人的な対応では、保護者にも職員にも混乱を招きます。組織としてのルールを揃え、誰が対応しても同じ筋が通る——その状態を目指すべきです。

管理職に求められる三つの動き

そして、もっとも重要なのが管理職の動きです。

まず、対応した職員の精神的サポートを急務とすることです。理不尽な言動を受けた職員は、想像以上に深く傷つきます。「自分の対応が悪かったのではないか」という困惑や罪悪感を取り除くことで、安心して仕事に戻れるようになります。

次に、行政や関係機関へ困りごとを報告し、支援を要請することです。前述のとおり、巡回支援や相談窓口といった外部資源は確実に整備されつつあります。どのような外部資源があり、必要なときにどこへ相談できるのかを把握しておくこと——その備えが、園長・主任には求められます。

そして、子どもの最善の利益を優先し、関係機関と連携して迅速かつ慎重に対応することです。カスハラ対応は、職員を守ることと、子どもを守ることの両立で考える必要があります。どちらか一方の視点だけでは、保育現場の判断としては成り立ちません。


おわりに

2026年(令和8年)10月の改正法施行により、カスハラ対策は「やったほうがよいこと」から「やらなければならないこと」へと位置づけが変わります。けれども、この法改正の本当の意義は、罰則の有無にあるのではないと私たちは考えています。

法的義務化が示しているのは、「職員を守る仕組みをつくることは、組織の責任である」という社会的な合意です。これまで保育者個人の使命感や忍耐に支えられてきた領域に、ようやく組織と社会の手が届こうとしている——そう捉えるべき変化ではないでしょうか。

カスハラ対策に取り組むことが目指しているのは、職員一人ひとりが安心して働ける職場をつくっていくことです。そうした環境が築かれていくことは、結果として子どもたちにとっても、より安心で豊かな保育につながっていくのではないでしょうか。職員が安心して働けることと、子どもが安心して過ごせることは、確かに重なり合っているはずです。

施行まで、残り5か月ほど。ガイドラインや研修資材の整備を待つだけでなく、まずは園の中で「相談していいんだ」という空気をつくることから始めてみてください。ご自身の園の状況と照らし合わせながら、何が足りていて、何を整える必要があるのか—— 一度立ち止まって点検してみてはいががでしょうか。それが、何よりも実効性のある第一歩になります。


執筆:杉村基樹(株式会社ネクサス代表取締役)

株式会社ネクサスは、保育施設に向けて、カスハラ対策を含めた職場のさまざまなルールを職員手帳としてまとめるサポートを行っています。お気軽にご相談ください。

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